放生会の歴史

放生会のはじまり

 

 宇佐神宮における二大祭礼ともいえるのが、行幸会(ぎょうこうえ)と放生会(ほうじょうえ)です。行幸会は今は中断していますが、放生会は「仲秋祭(ちゅうしゅうさい)」と呼び名を変えて今も続けられています。

 放生会は宇佐宮における最古の祭礼ともいわれています。諸説ありますが、一般的には養老4年(720)に始まったと考えられています。『八幡宇佐宮御宣託集』は、同年に大隅(鹿児島県)・日向(宮崎県)で隼人[はやと]の反乱がおき、その鎮定に八幡神が寄与したことが契機となったと伝えています。戦いにおいて多くの「殺生」がおこなわれたので、八万神は応報として生きものを放つこと、つまり「放生」をおこなうことを神託したというのです。隼人鎮定ののちに悪気がただよい病気がはびこったので、隼人の霊を鎮めるために始まったともいわれています。

 この放生という行為は、「不殺生戒」という仏の教えに基づくものです。そして宇佐における放生には、虚空蔵寺や弥勒寺など宇佐の古代寺院を創建した法蓮という僧侶がかかわったことが指摘されています。放生会は、古くから宇佐に神仏習合が成立していたことを象徴的に表す祭礼といえます。

 

祭礼のながれ

 

 放生会は、寄藻川河口の和間神社をおもな舞台とします。かつては旧暦の8月1日から15日にかけて行われましたが、今では10月9日から11日までの3日間に限って行われます。以下に示すのは、かつての祭礼の流れです。

 

8月1日  屋形立て(祭場の検分)

      細男(せいのお)の舞(傀儡舞)開始

  11日 相撲の内取(予行練習)

  13日 蜷(にな)の調達

  14日 神輿(御神体)の和間への臨幸(お迎えの神事)

      御神体の頓宮(仮殿)入内

  15日 宇佐と隼人に分かれての相撲

      ご神体の浮殿への臨幸

      船上にて奏楽

      上毛・下毛郡の2船による傀儡舞

      河口にて放生(蜷放ち)

      御神体の頓宮への還御

      国司による官幣、銅の奉納

      神輿の宇佐宮への還御

 

蜷の調達

 

 宇佐神宮の放生会においては蜷と蛤の放生会が行われます。蜷を放つのは、殺された隼人の霊が蜷にやどったためとも伝えられます。隼人鎮定後に蜷が大発生し、病気のまん延や農作物の不作に至ったことを、隼人の霊の仕業とし、それを鎮めようとしたというのです。

 放つためにの蜷は事前に調達しておきます。蜷を拾い、放生の準備をおこなうのは、代々にわたり蜷職司(になしきのつかさ)を務める蜷木家です。前もって寄藻川でフトヘナタリという会を拾い集め、かつてはアシ、今はカヤを材料としたアシヅトに蛤とともに収めます。そしてこのアシヅトごと奉納するのです。

 現在の放生会は3日間で行います。その中日に放生が行われるのですが、蜷はまず、西貝神社に奉納されます。これを蜷饗(になあえ)といいます。続いて和間神社の浮殿に法のされ、さらに寄藻川河口にて放つということになります。

 なお、西貝神社の蜷と同じように、水之江神社(豊後高田市)にて水、塩屋神社(宇佐市)にて塩の調達と奉納もおこなわれます。

   

 

(大分県立歴史博物館 特集展示 放生会1300年~いまだ続く宇佐宮最古の祭礼~ 

令和2年8月4日~11月1日 より)


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